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ゲーム音楽関連の記事を書こうと、ネットを閲覧していたところ
意外な号外が入ってきました。
任天堂の元社長で、現在は任天堂の相談役をしていた
山内溥氏が亡くなったとのこと。享年85歳だったそうです。
現在は、号外扱いなので、正式な死因などはこれから記事になるでしょう。
(追記:死因は肺炎とのこと。)
山内溥氏は1927年生まれで、任天堂初代社長の山内房治郎の曾孫に当たる人物です。
伝統的な企業は、創業者家系が継ぐことが多かった例にもれず
山内氏も、1947年に後に任天堂の母体となる株式会社丸福の設立時に20歳の若さで取締役に就任し
その後、22歳の若さで、任天堂の実質のトップとなります。
若い頃から、ビジネスに関しての慧眼を持った方で
1953年にプラスチックトランプを、1959年にはディズニートランプなどを販売し
業績を急上昇させた手腕を持っていました。
一時期は、食品会社、ラブホテル、タクシー会社の運営を手がけるまでになりますが
そちらは芽が出ず、逆に多大な負債を出したこともあります。
多彩な経営で痛い目を見た後は、娯楽産業一本槍で行くことを決意し
その後は後にゲーム&ウォッチ、ひいてはファミコン誕生の立役者ともなる
横井軍平と組んで
ウルトラハンドを販売したり、更に娯楽業界でブームを起こすことに成功します。
アーケード事業から展開した家庭用コンピュータゲームに、日本でいち早く反応し
ファミコンやゲームボーイなどの大ヒットを生み出し
その後、数々の経営や販売に対する名言を公の場で残していきます。
コアなゲーマーからは「組長」の名で呼ばれ、凄みのある風格と発言は
傑物であることを示している人物でも有りました。
その名言などは、グーグルなどで検索すれば山のように出てくると思いますので
興味のある方は検索をオススメします。
山内溥名言集
海外ではアタリが先行し、粗悪品濫造で下火になっていた
コンシューマーゲーム機を再びメジャーにした功績は非常に大きく
まさに、現代コンシューマゲーム機の隆盛があるのは
この方の影響があったと断言してしまっていいほどの人物だと思います。
現在の任天堂社長である、岩田聡氏を社長に指名したのは
山内溥氏本人であり、山内一族から社長を出さなかったことは本人の意向によるものだったそうです。
つい昨日に、任天堂のファミコンサントラの話を記事にしたばかりでしたので
この訃報は非常に残念です。
85歳まで現役のまま亡くなった、偉大なる山内溥氏に心より哀悼の意を捧げます。
ファミコンとその時代
- 作者: 上村 雅之
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2013/06/28
- メディア: 単行本
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2013-09-19 18:23
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